2014年8月30日、いつか訪れてみたいとずっと思っていた知覧特攻平和会館を訪問した。平和会館には、散華した特攻隊員の写真・手紙・遺書・遺品が多数展示されている。手紙・遺書には、死ぬことが確実な作戦に出撃するという極限状況において特攻隊員が書き残した心の叫び、そして、家族・恋人・友人たちへの思いが切々とつづられている。これまで育ててくれた両親への感謝、これまでの親不孝についてのお詫び、子供・弟・妹らの今後を想う言葉、等々、涙なしには読めないものばかりだった。
とりわけ、穴沢利夫大尉が恋人の智恵子さんに宛てた遺書は、僕の目を引き付け、何度も繰り返し読まずにはいられなかった(全文がここで参照できる)。決して激しい言葉づかいではない、むしろ淡々としたといってもよいような文章から、智恵子さんへの純粋な想い、智恵子さんの幸せを心から願う気持ちがほとばしり、痛いほどに伝わってくる。
特攻兵の多くは、前途ある二十台〜三十代前半の若者だった。二十歳に満たない者も少なからずいた。中には心から志願して特攻兵になった者もいたのだろうが、多くの若者は、死を目の前にして究極の葛藤と闘いつつ、身を引き裂かれるような思いで死に臨んだ者が多かったのではないかと思う。
特攻作戦は、戦術目的を達成できなかったという意味では作戦としては失敗だったのだろうし、死ななくてもよい若者を多く死なせてしまったという意味では過ちであり、決して美化してはいけないと思う。だが、かつて無念の思いで散っていった若者がいたこと、そして彼らがどんな気持ちで死に臨んだのかに思いをめぐらせ、彼らの残した言葉に正面から向き合い、過ちについての苦々しい気持ちも含めて、心に刻み込むこと、そして、彼らが望んでも手に入らなかった、ただ家族や友人と何気なく暮らすことに幸せを感じて生きること、それが今を生きる我々の努めであり、そうすることで、特攻兵の方々の死が本当に意味で平和への礎となると思った。知覧は決して交通の便の良いところではないが、訪れたことの無い人は一度ぜひ行ってみてほしいと思う。