とりとめもない考察
帰省中に時間があったので、いろいろと瑣末なことに考えをめぐらせてみた。
今の自分は、毎日仕事に追われて忙しい。やっている仕事には一定の充足感はあるが、このまま同じように毎日を過ごして40になり、50になるというのは、ちょっと耐え難い気がする。そもそも最近は本当に時が過ぎるのが早すぎる、それだけならいいのだが、たとえば1ヶ月経ったときに、その1ヶ月間に何をしていたのかをほとんど覚えていない。それは、一面では充実しているということでもあるのだが、他方、日々起きる出来事を自分の心に刻み付けるだけの余裕がなくなっている証左であるのは間違いない。だからといって、今の自分の生活をどう変えたらよいのかは分からない。仕事に使う時間をもっと減らせばよいのかもしれないが、それで余った時間をでは何に使えばよいのかといえばこれが分からない。妻と過ごしたり、友達と会話したりするのに使えばよいのかもしれないが、でも、自分は仕事以外であまり豊かな(お金持ち、という意味ではない)生活を送った経験がないので、すぐにそんなことで充実感が得られるとは思えない(そもそもすぐに結果を求めることが間違いなのかもしれないが)。それに、仮に仕事をセーブしたとして、その結果もし仕事で充実感を得られなくなったら、自分はどうなるのかと思うとちょっと怖い。もし仕事がヒマになったら、今はあっという間に過ぎていっている時間が、今度は恐ろしくゆっくりとしか過ぎていかなくなるだろう。今日は昨日と同じで、明日も今日と同じであることが間違いなく確信できてしまうような日々を送るのは、これまた耐え難いことに違いない。そもそも、今の自分が曲がりなりにも社会の一隅でなんとかまっとうに生きてこられたのは、仕事があったからだ。そうでなければ、いつ何時池袋の底辺の生活に落ち込んでもおかしくなかったと思う。社会人として仕事を始めるまでの学生生活は、本当に孤独だったし、その孤独に耐えられなかったから、いろいろなことに手を出して、お金も無駄に散在した。当時は、「俺にはもういいことは何も起こらない。あと何年生きても」そんな気持ちだった。ただ、実際にはいいことは起きた。結婚もしたし、仕事上の自信もついた。それはもう運がよかったとしかいいようがないところもあるが、同時に、自分が仕事上の努力を怠らなかったからでもあると思う。そうであるならば、やはり仕事で手を抜くことは自分にとって許しがたいことになるのだと思う。ただ、いままでの成功体験を直線的に伸ばして将来のビジネス戦略を描くことが必ずしも最適解でなはいのと同様に、自分の人生を設計する上でも、今までのやり方を少しは変えてもよいのかもしれない。まずは、早寝早起きするところからはじめて見ようか。なんだか小学生みたいだな。