回想

部屋を片付けていたら、「AERA 臨時増刊 職場のうつ」という本が出てきた。2002年12月発行とあるから、たぶんそのころ買ったんだろう。2002年末といえば、たしか短期間のうちに2度も異動があったうえに、仕事内容も無茶で、かなり参っていた時期。別にうつ病だったわけではないし、病院に通ったわけでもなかったけど、こういう本を手に取ったということは、自分なりにかなり悩んでいたんだろう。思えば真面目過ぎたんだろうと思う。最近はその反動で適当すぎるかと思うこともあるけど、でもウジウジ悩んでるよりはいいよね、と自己弁護。

A shift of perspective: Recruiting mosquitoes to fight malaria

マラリアは蚊が媒介する病気です。マラリアの被害を食い止めるには、いかに蚊に刺されないようにするかを考えるのが普通ですが、発想を転換して、蚊を利用するプランが進行中だそうです。 A shift of perspectiveによれば、それは、マラリア耐性を与える遺伝子を蚊に植え付け、その蚊を野に放つ、そして自然界の蚊と交配が進むうちに、やがては自然界にはマラリア耐性のある蚊しか存在しなくしてしまう、というアイデアだそうです。

まあ、実際に実行するのは一筋縄ではいかないようですが(たとえば、耐性遺伝子を植えつけられた蚊の方が、自然界の蚊に比べて、生存能力が強くなくてはならないが、その条件を満たすのは難しい、とか)、この逆転の発想が面白いです。マラリアにかからなくても、より生存能力が強くなった蚊にさされること自体は覚悟しておけ、とのことですが。

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?

5年ほど前に購入した本を再読。

昔はよく人にこう聞いたものだ。「どんなことを考えているのかね」
今じゃこう聞く


何を試してきたのかね。

人は、考えるという本当の仕事を避けるためなら、どんな言い訳にでも飛びつく、という言葉をかつてどこかで聞いたことがある。語弊を恐れずに言うなら、世の中の9割の人は、考えることを放棄している、そんな印象がある。
だけど、考えるだけではだめなんだ。考えたことを試してみなければ。そして、考える1割の人の中のそのまたたった1割の人だけが、試してみることをするんだろう。
試してみても、ほとんどの場合失敗に終わるだろう。だけど、試してみることを通してのみ、真に創造的で豊かな人生を送ることができるだろう。

照柿(単行本)

照柿

照柿

10年ほど前に購入して、途中まで読み進めたものの、内容も文体も重すぎて途中で投げ出してしまった本。今になってなぜ思い立ったか自分でも分かりませんが、この祭日を利用して改めて読み始め、何とか読了しました。
Amazon等Web上の書評によれば、人物描写が優れているとの評が多いようです。人間の心のひだ、複雑かつ矛盾を内包した内面を精緻に描いているのは確かに素晴らしいです。以下、自分的にもっとも印象に残ったパラグラフの引用です。

 雄一郎は今、ふいに自分を池だと思った。自ら自然に湧き出す泉ではなく、どこからか流れ込む水で潤ったり溢れたりするだけの池は、流れ込む源流を潤すことはない。細々とさまざまな人間の流れが注ぎ込み、退いていくだけで、何ひとつ与えることのない貧しい池だった。義兄が何と言おうと、人に何ひとつ与えることなく生きていること、そのことが自分の罪だった。
 貴代子に限らず、すべての人間に対して、自分という男はそういう在り方しか出来なかったのだった。仮に美保子と親密な関係になっていても、同じことだったろう。昔から、自分には何か欠けていると感じ続けたその正体を、雄一郎は自ら戦慄しながら見ていた。誰もほんとうには慈しむことのない人間がここにいる。貴代子もその兄も、今は亡い父母さえ心から慈しんだことはなかった。人なみの常識と欲情だけはあって、心のない男がここにいる。自意識の塊だけの、化け物のような男が。

と、雄一郎という人間のありさまがこれでもかというほど執拗に描かれています。
ただ、万事がこの調子の重い描写が500ページにわたって続くので、少々食傷気味になったのも事実。このトーン・文体が好きな人にはたまらないでしょうが。

いずれにせよ、10年前には重すぎて読みきれなかった本を、30を過ぎた今となってはきちんと咀嚼しながら読めるようになったのは、自分が多少は人間的に成長した証なのかもしれません。また何年後かに再読したくなるかもしれない予感がします。

アーグラー・デリー旅行記

2005年11月30日〜12月2日にかけて、インド、アーグラー・デリーを旅行しました。ムンバイ着任後、ウダイプル、ジャイプール、ゴアに続き4度目のインド国内旅行です。
毎度のことながら2泊3日で駆け足の旅行です。ムンバイからデリーに飛び、同日中にデリーからアーグラーに飛行機で移動し、アーグラー市内観光。翌早朝にタージマハールとファテープル・シークリーを訪れ、午後に再度アーグラーからデリーに車で移動。デリーでは、ちょうど私たちがムンバイに赴任したのと同じころにデリーに赴任した友達と落ち合い、デリー周辺の世界遺産を観光しました。

デリーからアーグラーへの移動で載った飛行機は、かなり旧型のボーイングで、フライト中は、これでもジェット機か、というくらいガタガタ揺れ、非常に恐怖のフライトでした。それを知ってか知らずか、乗客もまばらで4分の1くらいの席しか埋まっていません。その後デリー=アーグラー便は廃便になったようですが、あの恐怖のフライトではさもありなん、ということでしょうか。

ともかく無事にアーグラーに到着。宿泊は、ウダイプルやジャイプールでも宿泊したオベロイホテルのひとつ、 Amarvilasです。

なんと、部屋からタージマハールが見えるという、絶好のロケーションです。


到着同日は、アーグラー城、イティマド・ウッダウラー(ベビータージ)を駆け足で周りました。その後、象嵌細工の加工の様子を見学し、何かお土産を買えというプレッシャーを適当にかわして、その日はホテルに戻ります。翌朝は、早朝に起床し、いよいよタージマハールに向かいました。

こちらは、まだ日が昇る前のタージマハールです。早朝であるにもかかわらず、多くの観光客が詰め掛けています。


こちらは、その後1時間ほどして日が昇った後に撮影したものです。正面からではなく、向かって右側からの写真ですが、朝日に照らされて、1枚目の写真とはまったく異なる色に変化しているのが分かると思います。写真では分かりませんが、白大理石の中には象嵌細工としてさまざまな宝石が埋め込まれており、見る角度によっては日の光が反射してキラキラ光り感動的な美しさです。このように表情を変えるタージが見られるのは朝だけなので、早起きてでも朝に訪れるわけです。
ちなみに、普段は日没までで閉まってしまいますが、例外的に、年に何度か満月の夜に入場することが認められている場合があるそうで、月の光りが象嵌細工に反射してそれは幻想的で美しいそうです。この、月夜のタージもぜひ一度見てみたいものです。



タージを満喫した後は、駆け足でアーグラー郊外のファテープル・シークリー(上の写真)を観光して、その後、車でデリーまで移動します。約200kmの行程ですが、道が余りよくないのと、デリーに近づくにつれ大渋滞に巻き込まれたのとで、5時間以上かかってしまいます。移動中高速に乗りましたが、高速道路を逆送するトラックに出くわしました。日本では考えられませんね。。。

デリーでは、友人と落ち合い、韓国人が経営しているヤミ焼肉レストランで食事をしました。ちなみになぜヤミかというと、牛肉の持込を、通関で認められている以上に持ち込んでいるからだそうで、外観もただの民家で、看板もまったく出ていません。肝心の味のほうは、さすが韓国人が経営しているだけあって、完璧です。もちろん、日本風の焼肉とは違いますが、肉汁したたる肉を食べたのは久しぶりで、がっついて食べてしまいました。

その後、デリー郊外のグルガオンにある友人宅で1泊しました。グルガオンは、最近のNHKスペシャルのインド特番でも紹介されていましたが、近年その数を増大させてるいわゆる中間層が住む街で、高層マンションが何棟も建ち並び、ショッピングモールなども充実しており、ムンバイと比べて非常に住みやすそうな印象を受けました。ただ、内陸のため夏は40度を越える暑さが続くそうで、やはり日本からやってくると、何かと生活は大変であるのは、ムンバイと変わらないようでした。



さて、翌日は、フマユーン廟、クトゥブ・ミナールの2つの世界遺産を観光し、お昼にはニッコー・ホテルの日本料理店で天ぷらやしょうが焼きを食べました。当時ムンバイにはまだ日本料理店がなかっただけに、非常にうらやましく思ったのを覚えています。

今回の旅行は、2つの都市を駆け足で移動したこともあり、体を休めることはできませんでしたが、ぜひ一度は訪れたいと思っていたタージマハルを訪れることができ、また友人とも会うことができたので、大満足でした。その友人は、今もまだデリーに駐在中です。インド生活は大変でしょうが、でも、インドの魅力に魅かれた僕としては、ちょっとうらやましいですね。

Katie Melua

Call Off the Search

Call Off the Search

透明感のある、染み入るような声。清清しい、少女の面影を残す声。それでありながら、内面の強い意志を感じさせる声。きっとまっすぐ育ったんだろうな、と思う、勝手な想像ですが。

ITとカースト インド・成長の秘密と苦悩

ITとカースト―インド・成長の秘密と苦悩

ITとカースト―インド・成長の秘密と苦悩

図書館で借りて、2時間ほどで読み終えることができました。この本は、エッセイとまでは言いませんが、筆者が取材・体験したことを、特にきちんと構造化するもことなくとりとめもなく書き綴り、それに、筆者による、きちんと検証されていない印象と感想を付け加えた本です。近年のインドで起こっている変化についての断片的な情報・一資料としては役に立つかもしれませんが、インドを理解するうえでの普遍的なパースペクティブを提供してくれるかといえば、否です。参照している統計資料も少ないし、インドの歴史についての考察も旅行用ガイドブックに記載されているレベルを越えていません。こういう本は、買ってまで読む価値がないので、図書館で借りて読めるのは何より。