ジャイサルメール・ジョードプル・ムンバイ旅行2007

2月10日から18日に掛けて、インドのジャイサルメールジョードプル、ムンバイを旅行しました。特にジャイサルメールは、ムンバイ駐在中に訪れたかったものの、帰国が予定よりも早まったために機会を逃したまま日本に帰国したため、約2年越しの念願かなっての旅行となりました。


ジャイサルメールまでの旅程としては、10日の深夜にデリーに到着し、1泊。翌11日朝ジョードプルへ飛び、その日の午後に車でジャイサルメールまで移動しました。飛行機で行ければ便利なのですが、残念ながら現在は民間機の便はありません。ジョードプルから片道約5時間掛けて陸路を車で移動することが必要です。 ちなみにジャイサルメールはインド北西部タール砂漠の中にあり、パキスタンまでは100kmしかありません。


さて、久々のインド。すんなりジャイサルメールまで到着できるかといえば、果たせるかな、そうは問屋が卸しません。デリー到着後から、さっそくトラブルに見舞われました。今回の旅行は、日本の旅行代理店を通じて手配したのですが、その代理店によれば、デリー空港では車の迎えがおり、かつその迎えの者がインド国内の航空券も持っているとのことでした。ところが、実際には、迎えの者が、車で送迎の担当と、航空券を渡す担当とで別々に2人いたのです。そうとは知らない僕たちは、僕の名前を書いたプラカードを持った迎えの者を見つけ、ホテル名も確認できたたので、その車に載ってホテルまで行ったところ、そこで初めて、彼が国内航空券を持っていないことに気づいたのです。翌朝出発の航空券が手に入らなかったら大変なことです。ホテルに着いたのは23時(日本時間午前2時半)を過ぎており、猛烈に眠い中、インド現地の担当旅行代理店に電話して、航空券を持った迎えの者をホテルまで寄越させてようやく航空券をゲットしましたが、その間何度か電話でのやり取りをして、航空券をゲットしたころには午前1時(日本時間午前4時半)を過ぎており、ぐったりです。早速インドの洗礼をあびてしまいました。。。


そんなこともありましたが、なんとか無事に予定通り11日夕方にはジャイサルメールに到着することができました。
宿泊したホテルは、 Garh Jaisalジャイサルメール城塞の中にある、5ヶ月ほど前にオープンしたばかりのホテルです。

これが、ジャイサルメール城塞です。車で移動してきて、砂漠の中にこの城塞が姿を現してくるのを見るのは、感動的なものがありました。


ジャイサルメール城塞の中のホテルは、建物自体が古いこともあって設備面では近代的なホテルにはかないませんが、雰囲気は素晴らしいものがあります。ホームページの写真を見ると各部屋の雰囲気が良く分かります。僕たちが泊まったのは、 Green Roomです。

部屋のテラスです。



部屋から見える街の様子です。


ちなみに、城塞ホテルはこちら以外にも何件かありますが、中には、エアコンがなかったり、お湯が出なかったりするところも多いようです。しかし Garh Jaisal はその点問題ありませんでした。それと、マネジャー・従業員のホスピタリティあふれるサービスもとてもいきとどいており、物事が前に進まない所謂インド的なイライラを感じることはまったくありませんでした。ジャイサルメールで宿泊するなら、断然オススメします。部屋は7部屋しかない小さなホテルなので、早めの予約が吉。
翌朝、テラスで朝食を済ませてから、ガイドを雇って街中を観光しました。

ホテルのテラスからの写真です。遠くに見える風車のようなものは、風力発電の設備だそうです。経済発展著しいインド、さまざまなエネルギー源を活用しているのですね。


観光の見どころは、ジャイナ教寺院や、ラージャスターン建築のハヴェリ(昔の裕福な貴族や商人の館)などですが、黄砂岩でできた街自体が神秘的な雰囲気をまとっており、また建物の精緻な彫刻が素晴らしく、ただ街中を歩いているだけで飽きることがありません。


ジャイナ教寺院の中の彫刻です。



ナトマルのハヴェリです。



パトウォーンのハヴェリです。ジャイサルメールで最大のハヴェリです。


ハヴェリには、今でも昔の貴族・商人の末裔が住んでいます。ハヴェリの中では、ラージャスターン様式の彫像や小物などを販売していました。財産を切り売りしながら、ハヴェリ建築の建物の維持にあてているそうです。
午前中だけで街全体をほぼ見終わり、中谷美紀がインド旅行したときにランチを食べたTRIOというレストランでランチを食べました。味は、まあまあといったところですが、眺望がよく、ジャイサルメール城塞を一望に見晴らすことができます。


ホテルに戻って少し休み、夕方からは、砂漠のキャメル・ライドに向かいます。生まれて初めてらくだに載りました。ラクダが立ち上がると、かなり高く、少し怖いです。40分くらいラクダに揺られましたが、慣れないのですぐにお尻が痛くなってきてしまいます。昔の人は、これで何日も旅をしたんですよね。車や飛行機などの近代的な移動手段の快適さを改めて感じさせられました。

ラクダの上から写した、砂漠に映ったラクダの影です。



砂漠で休憩中のラクダです。


翌13日の午前中は、昨日は外観を見るだけでスキップしたシティ・パレス内を見学しました。日本語の自動音声ガイドがあったので、借りてみたところ、これが非常によくできており、実物の宮殿を前にして、その宮殿について特集したNHKスペシャルの解説を聞いているようでした。音声ガイドは有料ですが、利用してよかったです。

シティ・パレスの屋上で、かつてのジャイサルメール藩王国の国旗とともに記念撮影


その後、TIBET RESTAURANTというレストランでランチを取り(ここも中谷美紀が訪れたところらしい)、午後には再度車で5時間かけてジョードプルに向かいました。
ここで、今回の旅行2度目のトラブル発生です。あと少しでジョードプル市内に入るというところで、なんと玉突き衝突に巻き込まれてしまったのです。車間距離がほとんどない状態で、前方の車がいきなり急停車。僕らの載った車が追突、さらに僕らの後方に居た車が僕らの車に追突しました。幸い、大事には至らず、怪我もしなかったものの、危うく大事故になるところでした。ちなみに僕たちの載っていた車はインド製アンバサダーで、お世辞にも事故に対する耐性が強そうではありません。ヒヤヒヤものです。
衝突後、3つの車の運転手が10分くらい口論していましたが、どういう結論になったのか、電話番号か何かを教えあったら、そのまま何事もなかったかのように、別れ別れに車を発進させていきました。ホテルに着いたときには、無事に到着できたことに本当に胸をなでおろしました。

ホテルに到着後に撮影した、車体後部。バンパーがへこんでいます。


ジョードプルでのホテルは、Ranbanka Palaceです。ディナーには、ラージャスタンのダンスのパフォーマンスを鑑賞することができます。ディナーの席では、僕たち以外のテーブルはほぼ全員お年寄りばかりでした。どうやら、ツアーの一行が泊まっていたようです。年を取って、時間もお金もあったら何をするかといえば、やっぱり旅行する、ということなのでしょう。何でこんなことを書いているかというと、翌朝チェックアウトの際に、ちょっとあきれた出来事がありました。僕の前にチェックアウトしていたそのツアー参加者の男性が、ホテルが2ルピー(約5円)のおつりがない(何千何百何十3ルピーに対して何千何百何十5ルピーを渡し、おつり2ルピー)ことに腹を立てて、もめた挙句に、お釣りがないなら払わないといって、5ルピー札を引っ込めたのです。おいおい、確かにおつりがないホテル側も悪いけど、後にチェックアウトを待っている人が列をなしているのに、2ルピーでもめるなよ。しかも、あなたは裕福な西洋の国からやってきて、もう引退してお金を稼ぐ必要もない立場にあって、インドのような発展途上国に旅行にやってきて、2ルピーをけちるのか。2ルピーなんてチップにもならないぞ。 そんなことを思いました。なんというか、老醜という言葉がぴったりくる振る舞いでした。こんな年の取り方はしたくないと強く感じました。ま、そういうトンデモ老人であっても、旅行会社にとってはおいしいマーケットなんでしょうけどね。


それはさておき、チェックアウトを済ませ、ジョードプル市内観光に向かいます。といってもその日の午後のフライトに乗らないといけないので、午前中の半日だけで、メヘランガール城塞と、ウメイド・バワン宮殿を駆け足で回りました。メヘランガール城塞では、ジャイサルメールのシティ・パレスで利用したのと同様な日本語自動音声ガイドがあったので、利用しました。これがあると城塞の見学が10倍楽しめます、ホントそのくらいよくできていました。

メヘランガール城塞です。ブルー・シティと呼ばれるジョードプルの街並と、無機質でグロテスクな城塞とのコントラストが際立っています。



ジョードプルの街では、染物を干していました。赤が目に眩しいです。


無事にジョードプル観光を済ませ、その日の午後のジェットエアーでムンバイに向かいました。かつて1年余り住んだ懐かしい街です。ムンバイに3泊してから、東京に帰国しました。ムンバイでは昔の友人と会い、積もる話で花を咲かせましたが、その出来事は、また日を改めて書いてみたいと思います。